2006年度 スタディ・ツアー体験記

「ジェローニモの東アフリカ夏ソナタ」

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ジェローニモ(ジェローム)尾崎、19歳。モンゴロイドの日本人。

父も母も日本人。兄(一郎)と弟(三郎)も日本人。

大阪にある某国立大学スワヒリ語科を第一志望とする浪人生ジェローニモは、国外に出たことがなく、国際線飛行機に乗るのもはじめてである。

そんなジェローニモが無謀にも参加したのは、カンカン仲間のスタディ・ツアーであった。「はじめて行く海外に、アフリカ選ぶか?、フツー」という天の声をよそに、あたたかい家族のあとおしのもと(もしかしてライオンの御家族だったのか?)、東アフリカへと旅立ったジェローニモ。

彼にとって15日間28万円は安かったのか、高くついたのか。

2006年、その全貌が明らかにされる、彼の東アフリカ体験記、「ジェローニモの東アフリカ夏ソナタ」の掲載である。

文:ジェローニモ尾崎 画:ダラダラマリ 編集:スタツア担当部

   

2006年8月14日・15

 飛行機の手続きをする。飛行機に乗るまではロビーで○○(テレビ局名)テレビを見て過ごした。それから飛行機に乗って、約9時間のフライト。チキンが食べられなかったり、日本語で映画が見られなかったり、いろいろあってねなかったりでドバイに着く。ドバイで約5時間待ち時間があったので、いろいろ散策する。免税店を見るもいまいち安く感じられない。で、担当者としゃべったりして、時間をつぶして、いざダル・エスへ。今度はカンペキに飛行機の娯楽設備を使いこなす! 飛行機の外についているカメラからの映像がなかなかいい。特に離着陸のときが。

 約1時間後(かなぁ)ダル・エス到着。入国審査の際メンチを切られる。荷物を持って空港を出るとモノスゴい人だかり。聞けばキリスト教徒の宗教の教祖が出国するらしく、そのお見送りに来たということらしい。今回現地で担当してくれるベーネさんが迎えに来てくれた。モノスゴく明るい人である。94,800キロ走行してあるトヨタ車に乗って、宿へ。宿は教会施設の中にあった。かなりいいカンジである。軽くお茶をして、他に挨拶をしてから、両替をするために町に行く。時間が遅かったのでできなかったが楽しかった。その後宿に帰り、食事を取りシャワーを浴びる。ああ、しんどいなあ、書くの。

 

担当者コメント :「メンチ」が死語になっていないことに、おじさんもおばさんも驚いた次第である。

2006年8月16

 時計がないのではっきりとした時間がわからないが、ニワトリがなく頃には起きている。空は暗かった。明るくなるまで電気をつけておくのも悪い気がするので、二度寝する。

 朝食後、ティンガティンガの村へ行くためにベーネさんが車を用意している間、家族に手紙をかく。ノート1枚分くらい書いた。

 930ごろ車に乗ってティンガティンガへ。ドライバーにはオーナーから言われたノルマがあるそうで週に7万タンザニアシリング払わなくてはならないそうだ。

 途中で昨日行かれなかった両替に行く。67$で85700シリングになった。担当者が言うには以前より下がっているそうだ。そのあとエミレーツで航空券の確認に行ったが、人が多いのでやめた。

 ティンガティンガ村は住宅地の近くにあって、さほど広くはないが、30人くらいは職人がいた。ベーネさんが言うには195,000タンザニアシリングだそうだ。

 担当者は商談(※註1)があるそうで、約2時間ヒマになったので、ティンガティンガを見たりして過ごす。そこでわかったのが、何パターンかデザインが決まっていて、それぞれ色がちがうということだ。キャンバスの形にもよるが、正方形のキャンバス用のデザイン(魚がびっしり円になっている)が、たて長のキャンバスに描かれることがある。これがなかなかおもしろい。記号的に描かれたマサイ族などおもしろいデザインがたくさんあった。また、ティンガティンガでは黒人を黒色で描く。記号的な意味かもしれないが、びっくりした。手塚治はマンガでやって問題になったのに。

 その後、昼食に黄身のないエッグバーガーを食べ、オレの意見で海に行くことになった。ここがまたスゴい。空がめちゃくちゃ広く、高いのだ。風も強くて、とてもいい感じだった。観光客のホテルもスゴかった。一泊100$くらいするそうだ。

 その後エミレーツに行って、カリアコーで果物を買った。活気にあふれていた。

 食事をとったあと、30分ほどニュース番組をみて、部屋に戻った。戻るなりすぐねてしまったので、今が何時か見当もつかない。そろそろ髪がかわいてきたのでねるとする。

 

担当者註1:商談ではなく展覧会の準備である。

担当者コメント:手塚マンガに寄せて、「ちびくろサンボ」って絵本、知ってますか?

2006年8月17

 朝食後すぐにバスに乗ってバガモヨに向かう。途中、楽器職人のいる街で降りる。観光客で成り立っているようで、土産屋が多い。土産屋が並んでいるところをぬけると、指ピアノを作る職人がいた。担当者は5000Tshにたのんでいた。ついでにもうひとつたのんでもらった。ジュンキの土産にするためだ。職人は快く引き受けてくれた。

 バスに乗ってバガモヨへと向かう。1時間ぐらいしてやっと着いた。雨がふりだして、雨やどりと昼食のために食堂に入る。メニューは2品しかなく、魚を油であげたものと、じゃがいもをあげたものを卵でとじたものをたのむ。なかなかおいしかった。

 そのあと自転車にのって遺跡へと向かう。途中、芸術大学(正確には短大らしい)に立ちよって、担当者は大事な用があるそうで、話し込んでいた。展覧会の絵についてだそうだ。オレはヒマだったので、近くでジャムっているミュージシャンの卵たちの演奏をきいていた。さほどうまくはない。黒板にはトラディショナル・ミュージックについて書かれてあった。

 遺跡までの道のりは最悪だった。まずヒドいのがケッタ(※註2)で、サドルが硬すぎる。それに道が悪すぎる。石だらけである。なんとか着いて、遺跡ガイドの説明を聞く。ガイドいわく、この遺跡のあった町はカオレと呼ばれており、そう呼ばれるようになったのは、12世紀(?)にイスラームが来た(?)ことによるそうだ。また13世紀には中国人が来ているそーだが、どーもウソくさい。遺跡はイスラームのモスクとシェリフ(偉い人)の墓で、なかなか面白かった。また、マングローブについて説明をうけた。

 帰る途中、占い師の所へいったが、面倒という理由で占うのを断られた。それから本来の目的であるプルーデというアーティストの所へ行くも不在で、もうひとりのナントカさんの所へ行って、絵の交渉で、また大学へ行った。今度はサーカスの練習を見た。後転がヘタだった。バガモヨに帰ってきて、ひとりになったとき老人に声をかけたら、2日メシを食っていないという。息子も出てきて、すごくハングリーなんだと言う。水をやるといったら、この人はジュースとコーラしか口にしないんだと言う。息子の目は黄色かった。

 バスにのりこむと、隣に座ったアフリカ人青年に声をかけられた。イディといい、タンザニアの教育について教えてくれた。初等3年、中等7年、高等6年で、大学は3年だそうだ。なかなかいいやつだった。バスのコンダクターをしているそうだ。

 ダル・エスに帰ると8時を過ぎていた。シスターたちが心配していた。明日は5時に出発するそうだ。よって、ねる。

 

↑ジャムっているミュージシャンたち 筆者撮影

 

↑ケッタに乗る筆者 担当撮影

担当者註2:東海地方では自転車のことを「ケッタ」という(らしい。笑)。

2006年8月18

 タンザニアの田舎に来ている。イミリワハという所だ。ランドクルーザーで約12時間。そこから別の車に乗りかえて約1時間30分。ずーと車に乗っていたせいで、昨日痛めた腰がまた痛くなってきた。それに、寝ちがえたのか首も痛い。朝は4時ごろ起きた。外がさわがしく、何人かの男の声が聞こえた。後できくところによると、電気を盗まれたらしい。シスターたちが集まって話し合っていた。

 5時にランドクルーザーにのって出発する。途中看護師の女性を乗せて、ひたすら走る。ミクミ国立公園を通過していると、サルやゾウやら色々な動物がいた。ただ、担当者が言うには、前に来た時よりも少ないという。またドライバーが言うには、暑いからあまり動きたくないんだそうだ。

 途中、イリンガという町に寄る。ケッコー田舎だった。幹線道路を130キロぐらいで走り通して、イミリワハにつく。6:30だ。そこから別の車に乗りかえて、ガタガタの道をいくこと1時間30分、8:00すぎごろ着く。田舎とは思っていたが、宿泊施設の設備はすばらしい。メシはウマいし、暖炉はあるし、テレビもある。また水力発電で自分たちで電気供給しているんだそうだ。泊まる部屋もダル・エスよりも豪華だ。今日ははやくねて、明日はおそく起きるとする。

 

担当者コメント:宿泊施設に満足していただけて、大変安心しました。

2006年8月19

 昨日は担当者が、疲れているだろうから10時まで寝ていいというのでこころおきなく寝ていたら、9時に起こされた。まったくどういうことかと思ったが、みなが心配してとのことだった。

 朝食をとり、敷地内を散策する。とにかく広い。モンゴルの草原を思わせる所もあり、グルのひとつやふたつあってもおかしくない。住人たちが作ったという池が見えてきた。ここもまた広い。クワで広げたというが本当かどうかわからない。それから配管が通っているという道をゆく。配管が壊れないように木で囲ってあるのだが、近隣住民によって壊されていた。さらに歩くと茶畑があった。ここもとにかく広い。収穫の際には200人くらいで行うそうだが、何日で終わるかわからないという。

 9:30ごろ出発して着いたのが13:00。約12Kmの道のりだった。昼食にワインを少し飲んで、昼寝。その後、草木染めの手伝いをして、夕食にまたワインを飲んで寝る。ちなみにここではなぜかジェロニモと呼ばれている。担当者が紹介する際に何か言ったに違いないが、本人は成り行き上しかたなかったと言っている。本当かよ。

 

担当者コメント:本当です(笑)。ジェロニモは本名「ジロー」から勝手に転化していき、「ジェロニモ」、「ジェローニモ」、「ジェローム」、「ジローラモ」などと呼ばれるようになりました。イスラム教の強い地域なら、もっと違ったイスラム風の名前で呼ばれているかもしれません。

2006年8月20

 今日は日曜日だ。孤児院の子供たちと、、昨日行った池にピクニックに行く。池に向かって小石を投げたり、牛を追っかけたり、川に葉っぱを流したり、いろいろとダラダラと遊ぶ。2、3歳の子供から5歳ぐらいまで、24人もいた。

 昼食をとって、またしばらく遊んで、子供たちを残して、皆と車で来た道を歩いて帰る。乾燥しているし、日差しは強いしで、とにかくまいった。朝干した洗濯物を見てみると、シャツに鳥のフンがついていた。洗って落とすのも面倒だから、地元の人にあげることにしよう。いいかげんだなあ。

 夕食前、だんろのそばでぼーっとしていると、大柄ですきっ歯のシスターが、jioniとusikuの違いについて教えてくれた。日本語では何と言うのかと聞かれたので、こんばんわ、だと教えた。そのあと、おはようやありがとう、炎、などいろいろおしえた。愉快な人だった。夕食後すぐに寝ることにする。ここ何日かねてばっかだ。

 

 

2006年8月21

 担当者が言うに、明日の朝には出発するそうだ。ンジョンベに1泊して、それからバスに乗ってダル・エスに行くという。ということは、今日が実質的に最終日だ。孤児院に行くと、おぼえていてくれたのか、子供たちがよってきた。木の葉やら根っこを差しだされたが丁重に断った。

 そのあと女子校を見学する。といっても外から見るだけだ。レンガ造りの立派な建物である。工事中の所もあった。援助で受けたお金や、牛などを売ったお金で建てているそうだ。9時ごろから開いているという商工所に行ってみる。どろで作ったネックレスや、セーターなどいろいろ売っていた。おみやげにセーターを3着とネックレスをいくつか買う。合計で3万Tshだった。手ぬぐいをあげたら、ネックレスを1つサービスしてくれた。

 昼、イタリア人が来るというので、昼食がモノすごく豪華だった。1週間ぶりくらいにサラダを食べた。彼らは水道などの様々な援助をしてくれるから、このような歓迎をするのだそうだ。食後にはケーキと果物!!が出た。

 昼からは特にすることもないので、草木染めの手伝いなどをして過ごす。夕食を食べ、シャワーをあびてぼーっとしている。のんびりしすぎだ。皆にスワヒリ語をいろいろとおしえてもらった。フォークやスプーンなど、20コぐらい覚えるのが大変だ。

 

担当者コメント:翌日は宿泊地が変更となる。ンジョンベ泊の予定が、いきなりイリンガ泊となるのだが、ここで筆者ジェローニモは、呪術医と対面することになる。

2006年8月22

 イミリワハ最終日、朝食を食べたあと、8:30に出発することを聞いた。急いで準備をして、いらなくなったセーターやシャツをまとめてあげたらすごく喜んでくれた。特に、車を運転してくれた男性は、JAの帽子を気に入ってくれたようで、ンジョンベまで車で運転してくれている間、ずっとかぶっていてくれた。

 ンジョンベからバスに乗りかえて、イリンガに向かう。運転が悪いのか、姿勢が悪いのか、また腰が痛くなった。途中停車した町で、200Tshで買ったマンゴージュースがおいしかった。日本でのマンゴーの製品は失敗がほとんどだが、これは本当においしい。お土産にしよう。

 5時間ほどバスに乗って、3:30ごろイリンガにつく。高地にあるのだが、なかなか栄えている。ゲストハウスに荷物を置いて、散策をする。ブラブラしていると薬屋があった。ガイドブックで見て、行ってみたいと思っていた所だ。お土産として、ホレ薬と学業成就の薬を買った。その間担当者は、地元の人から、呪術医がいる場所をきいてきた。その人の案内で、呪術医へ行く。呪術医は大柄な男性で、デニムシャツにジーンズ、サンダルというラフな格好だった。その彼に案内されて部屋に入ると、中には大小合わせて200コぐらいの薬の入ったビンと、薬にするであろうドライフラワーやケモノの皮、カラスの羽で作られたグロテスクなオブジェが所狭しと置いてある。

 呪術医は木製の小さなイスに腰かけ、手もとにあった土ナベに、鳥の羽やひょうたんなどを入れながら、薬が入っていると思われるひょうたんのフタを上げ下げしている。霊的なモノを呼びよせる準備だろうか、念入りに行っている。

 それから股のあたりにウシの角を置き、太もものあたりに白と茶のケモノの皮を置いて、白い粉を額に少しつけ、ケモノの皮にもふりかけた。そして5000Tshを払えと言う。差し出すと、前述のグロテスクなオブジェの中にしまった。準備が完了したとばかりに、右手に黒い鳥の羽と小さなひょうたんを持ち、左手に白いケモノのしっぽを持ち、再び額に薬を十字の形になるようぬりつけた。

 オレの名前と母親の名前を聞き、両手をこきざみにふりながら、何ごとかブツブツとつぶやき、天を仰いだりしている。霊的なモノを降ろしているのか、しばらくそれを行ったのち、占いの結果を言った。

 訳を聞くと、自分は優秀な頭脳をもっているが、クラスの誰かにねたまれており、うまくいかない。また結婚については、知的な人と結婚するが、何か邪魔が入ってダメになるという。澄んだ目で言っていた。それからそうならないために薬を処方すると言う。2種類あって2万Tsh要求してきたが、交渉して8000Tsh前後になった。

 薬はシャワーをあびる際に使うものと油などで体にぬるものだそうだ。金の交渉をしている間、悪魔にきいてみるだの言って、右手をこきざみに動かしていた。目が泳いでいた。最後に600Tsh払えという。これは何で要求されたかわからない。薬をもらう際、電話番号をもらった。結果を教えてほしいとのことだ。半年後にすると言ったが、たぶんできない。

 また、サービスだと思うが、栗の皮のようなモノのかけらをもらった。これも油で体にぬるのだと言う。最後に礼を言ってわかれた。後からきいたところによると、あの呪術医は呪術医のメッカだと言う街(名前忘れた)の出身で、祖父母におしえてもらったのだと言う。あやしい所もあったが、興味深い体験だった。明日は6:15のバスに乗るので、ここらでねるとしよう。

 

担当者コメント:初海外初東アフリカでいきなり呪術医のところに行くとは、太いのか細いのかわからなくなりました。詳細がよく観察されていると思いますが、お読みになった皆さまが、いったいどんなスタディツアーやねん、と危惧されていないか、そっちのほうが心配です(笑)。

2006年8月23

 イリンガからダル・エス・サラームまでずっと移動。

 6:15分に出発なのに、2時に起床。ヒマなので体操したり、ねたり、ダラダラしてすごす。

 5:30ごろゲストハウスを出て、バスに乗ろうとするも、扉が開いていないので、近くのレストランでミルクティーをのむ。後から考えてみればこれがいけなかった。バスが出発してすぐに、となりのダラダラマリさんがよった。吐いてしまってすごく気分が悪そうだった。席をかわると、窓にもたれてねてしまった。

 バスは街を通るなり、そこで停車する。40分ぐらい停車することもあれば、5分しか停車しないこともある。それに、長距離・長時間走るのに、トイレ休けいもない。

 ある街に停車した際、トイレに行こうと思った。いつ発車するかわからないので、急いでさがして、急いで放尿したのに、バスは行ってしまっていた。まずいと思ったが、周りにいたタクシードライバーが、追いかけるから乗れ!という。

 ここで違うダル・エス行きのバスを待つよりましだろうと思い飛び乗ると、ドライバー以外に3人乗ってきた。関係ないだろ、お前ら!

 タクシーを飛ばして500mほど行くと、バスが見えた。停車していやがるので、タクシーを降りようとすると、1万Tsh要求してきやがる。

 いつバスが発車するかわからないので、交渉する時間はない。仕方なく払ってバスに乗ると、皆笑ってやがる。どうやら担当者が待つように言ってくれたようだ。というか、金を払った客を残して出発する奴があるか、ドライバーめ。

 そんなこともあって、なんとかダル・エスについた。その後、ショップライトで買い物をした。

 

担当部:↑怒ってますね(笑)。

     怒ってる(笑)。

     これは担当者が悪いよ。

     事前に説明しておいてあげなきゃ。

     サマハニ、サマハニ(ごめんなさい)。

     でも、その時々の判断がいいですね。

     こうやってみんな、

     大きくなっていくんだね(感慨!)。

  

   

  

 

2006年8月24

 朝は遅めに起きて、食事をとって、カリアコーへショッピングに出かける。まずCD等を買おうと思って、行ってみるも、まだやっておらず、両替に行くことにする。考えてみれば8:30からCD屋がやっているわけがない。両替屋はすでにやっているので、働きものだ。カリアコーの食品・衣料品関係の店もまたやっている。バスだってやっている。まったくよく働くもんだ。

 両替屋で100$を替える。以前来たときよりもシリングの価値が下がっている。1週間前には、100$→128000Tshだったのが、100$→131000Tshになっている。大丈夫なのか。

 本屋に行って、スワヒリ‐英語辞典を探すも、良いものが見つからない。英‐スワヒリならいいものがあるのだが。

 それから土産屋街に行く。探していたニット帽が売っていたので、買おうと思って値段を交渉。8500と言ってきたので、5000にしろと言ったら、7000でいいと言う。3つ買って21000Tshだ。金を払ったら、担当者が待ったをかけた。高すぎるという。言われてみればそうかもしれない。なんとか言って20000Tshになった。今になって思えば、3つで15000Tshでも高いと思う。次から気をつけよう。

 その後、昼食をとろうと、海辺の近くにあるイタリア人経営のピザ屋に行った。1枚5900Tshとかなり高いが、ウマい。薄い生地とトマトソースの具合がなんとも言えず、黙々と食べる。もう1枚食べたいぐらいだったが、高いのでやめる。なんせアイリッシュコーヒーで4900Tshだ。イリンガのゲストハウスで2泊できてしまう。

 バスに乗って海に向かう。日本の援助で建てられたという魚市場をみたあと、貝を買いに行く。貝といっても日本の海辺にころがっている貝のレベルではない。ガラス細工のように美しいのだ。とはいっても元手はゼロである。海に行って拾ってくればいいのだから。紫のきれいな貝があったので、いくらだときくと、1000Tshだと言う。で、その貝とそれと同じくらいの大きさのを見て、一回り小さな貝をいくつか加えて、2000Tshで買った。

 またバスに乗って、カリアコーに向かう。雑貨屋に入って、パチンコを買う。店のおじさんがいい人で、頼んでもいないのに、1500Tshから900Tshにしてくれた。荷物がふえてきたので、袋を買おうと店に入ると、中国人の店員がいて、この人もいい人で、1500から1000にまけてくれた。うれしい。

 布屋に行って、マサイの布(6500Tsh)を買ったりして、CD屋に行く。カセットテープ1本とCD3枚を買う。13300Tshだった。CD1枚4000で、カセットは1300である。CDの方は海賊盤っぽい。音、大丈夫かなあ。

 いろいろ買ってくたびれたので、帰ることにする。帰る際、皆のお土産に果物を買っていく。後で食べたマンゴーが、季節はずれなのにおいしかった。旬でないのにあのおいしさはすごい。ぜひ旬な時に食べたいものだ。

 明日はバガモヨに行く。イディに会えるといいのだが。

 

担当者コメント:イリンガでの宿は、計画変更後の飛び込みのため、とてつもない安宿だったんですね。1泊250円程度。「ウサラマ ウポ?(安全はありますね?−安全だろーな)」と何度も念を押して使用しました。

2006年8月25

 芸術大学に絵を引き取りに行くのと、プルーデというアーティストに会いに行くということで、バガモヨへ行く。

 ウドンゴの宿から、ポスタという所へバスで行き、そこからまたバスに乗って、バガモヨへ向かう。コンダクターイディはいない。1時間ほどでバガモヨに着いた。まずプルーデに会うというので、ギャラリーで待っていると、やってきた。話できくに、まゆ毛がつり上がっているそうだが、別にそうではない。他のタンザニア人と比べれば、ということだろう。日本人ならあれぐらいたくさんいる。担当者がプルーデに何事か話していた。絵を描くよう頼んでいたのだが、描いてこなかったそうだ。代わりにサンディという青年が、大仏の絵を描いてきてくれた。我流だそうだがかなりうまい。この青年、両親から手に職をつけるようにと、電気関係の学校(工業高校みたいな所だろう)に行っているそうだ。どの国の親も、考えることは一緒なんだなあ。

 プルーデ達と別れたあと、リヴィングストンの遺体が置かれていたという教会を見学。また、奴隷貿易とドイツ植民地であったことが書かれている施設も見学。オレ以上に、同行したベーネさんが真剣に見学していた。

 その後海辺を散歩。猟師たちが魚のうろこをとったりしていた。海に何そうか船が浮かんでいる。きくに、夕方から漁に行くから浮かべているのだそうだ。白い砂浜と少し緑が入った青い海と青く広い空が印象的だった。

 その後芸術大学へ行って、皆が絵に関する交渉をしている間、以前サーカスの練習をしていた広場のような所へ行って、ダンスを見る。側転やバク転をしていたり、中国ごまの練習、柔軟体操などをしている。サーカスよりもよっぽどレベルが高い。見あきたので、大学内をブラブラしていると、空手をしていた。上段げりの練習をしていた。黒おびの人もいた。皆の声がするところへ行くと、まだ交渉していた。1時間はゆうにたっている。絵の作者の名前の照合やらで、時間がたってしまったようだ。日が沈んできた。もう夜だ。やっと終わって、バスに飛び乗る。ここにもイディはいない。結局会えずじまいだ。

 宿についたのは9時ごろだった。食事もさめている。シャワーをあびて、髪もかわかないうちにねてしまった。

 

 

2006年8月26

 ティンガティンガの村へ行って、絵を引き取るため、ウドンゴからカリアコーに行って、そこから歩いて郵便局のあるポスタという所に行って、バスに乗る。

 引き取り作業の間、絵を買ったり、日記をつけたりして時間をつぶす。絵の方は大きいのを1枚、中よりやや小さいのを2枚、小さいのを1枚、計4枚買って、78000Tshだった(大40000、中15000、小8000)。絵を入れる筒が2000Tshだと言うので、結局80000Tshになった。4枚で80000Tshだったと担当者に言うと、上出来だといっていた。そうかなあ。

 買い物も日記も終えて、担当者の所に行ってみると、ベーネさんが来ていた。担当者が参考絵画に余分な金を払ったりしないか不安だと言うので来たそうだ。実際担当者は、同じ人に二度払いをしていた。

 昼食は、以前皆と来たベストバイトで食べた。荷物が増えたので、一度宿に戻ると話したら、ベーネさんが、わたしが荷物を全部もってタクシーに乗って戻るから、あなたたちは買い物をしていなさい、という。どこまで気がきく人なんだ、この人は。

 ベーネさんの優しさに甘えて荷物をあずけ、指ピアノ職人のいる街へ向かった。しかしいなかった。それに頼んでいた指ピアノ(マリンバ)もできていない。仕方がないので、土産屋で買うことにする。この辺りは中国の援助で道路を広げる工事をしており、荒涼としていた。

 それからバスを乗り継いで、マサイの美容室に行った。30人ぐらいのマサイ族の男性が髪を結っている。マサイでは男性が髪を結うのだそうだ。老人から若者までいた。マサイジャンプが見られなかったのが残念だ。

 夕食を取るため、官庁街に向かう。ピザ屋に入ってオーダーをして待っていると、担当者の知り合いのドライバーに会った。ものすごく親しげに担当者と話をしている。この人はオーナにたのまれてピザを買いに来たのだと言う。こんな偶然もあるんだなあ。

 それから宿に帰ると、8:00近くになっていた。シャワーを浴びて、ねようとすると、食事だとシスターたちが言う。最後の夜なので、とても豪華な食事だった。この準備のために時間が遅れたのだろうが、悪いがとてもじゃないが、お腹が一杯で食べられない。担当者が外で食べてくることを言わなかったからだ。なんてことだ!なんとか少しだけ食べて、疲れたから寝ると言って退出した。なんてことだ! それから泥のようにねむる。

 

担当部:担当者のボロが、ボロボロ出てますね。

担当者:うんー、いろいろな場面で、いろいろ混乱しちゃうんだ、ははははは。

 

 

2006年8月27日・28

 とうとう出発する時が来てしまった。

 荷物をまとめなければならない。何より問題なのが、ティンガティンガだ。デカすぎる。ドバイで買った筒型袋に入りゃしない。衣類は今日着ているもの以外、ほとんど捨てるか、あるいは状態のいいものは、ここの人たちにあげることにする。これでだいぶ入るようになったが、まだ入れるものがあるのだから、なにか出す必要がある。旅行中、結局一度も使わなかったティッシュペーパーやバンドエイドなどを、やはりみんなにあげる。

 荷物を整理していると、ベーネさんが部屋に入ってきた。プレゼントがあるといって、家族全員分にシャツをくれた。そういえば昨日、ベストバイトで食事をしている際に、家族構成をきかれた。なるほどこのためだったのか。本当に気のつく人だ。感謝である。そういうわけで、ベーネさんにいらなくなったタオルや手ぬぐいやらをプレゼントした。とても喜んでくれた。

 朝食後、ひたすら荷作り。昼食後も、荷作り。飛行機が4:30に出発するので、2:00ごろ車に乗って空港へ向かう。この車、初日に乗ったのと同じ車だが、2週間で1200キロ走っている。つまり9万4800→9万6000になっていたのだ。タンザニアでは何度か車に乗ったが、どれも走行距離がすごい。一番少なかったので5万8000Km、一番多くて13万Kmである。よく走れるものだ。ちなみにメーカーは圧倒的にトヨタが多い。乗り心地は、シートが壊れていないので良いが、エアコンは壊れているのか、ついていない。どの車も窓を開けっぱなしで、皆シートベルトをしない。ナイロビではするそうだが。また担当者が言うには、車を輸入するにはおもに2通りあって、日本から直に入れるのと、日本から中東に輸入されたものを入れるのがあるのだそうだ。前者は高いが、後者は安いという。相場はだいたい日本円で1台約7万円だそうだ。

 空港について、ベーネさんたちと別れたあと、エミレーツに行って、チケットと荷物預けをしようとすると、荷物は重量(32Kg)オーバーしなかったのだが、機内にはもう人が一杯だというのだ。オーバーブッキングというやつである。しかも担当のラスタ女は、平然とそれを言う。20分ほどその場で待たされて、空いている席に座らされることになった。それもエコノミーである。もっといい席にしろよ。

 まあ、そんなこんなでドバイに着いて、買い物をして、飛行機に乗って、チベット上空でこの日記を書いている。ドバイの時間で朝の7時すぎだ。あと4時間ほどで日本につく。

 日本についたら、タンザニアにいた時のように、のんびりしていられない。なんだかなぁ。電車は走るし、バスは時間通りに発車する。バスに乗ってても行商人は来ないし、あの客引きのダミ声も聞こえない。帰国するのだなぁ、まったく。

                              完

 

↑うわさの冬ソナ写真

 なぜ「夏ソナタ」の題名が出てきたかというと、ひとえにこの写真のイメージからである。そのわりに、ロマンス話が全然でてこない!!!

 かたやブーツ、かたや裸足にカンダ・ムビリ(Kanda mbili  ビーチサンダル)!!!

   みなさまのご参加を、心よりお持ちしております。